うつ女ブログ

うつ病からリハビリ期へ。自分を労わりながら社会復帰していく雑記。

思考のもと。恐怖か憧れかの大きな違い。

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うつ病以前の私の思考は、「~しなければならない」「~すべき」「~でないといけない」といったものでした。

 

それは、背景に「〇〇でなければダメだ、それができないとダメだ」という思いがあって、簡単にいえば恐怖に支配されていた思考だったと思います。

 

この思考は、うつ病の発病に大いに関係していたと個人的には思っています。

 

思考のもとが何か

「その思考が発生した元は何か」、ということは、精神衛生上に大きく影響する気がしています。

 

先ほどの以前の私のような思考を元に行動すると、自分という監視員に常に見張られているような状態になるためプレッシャーを大いに感じるし、その過程で喜びは発生しにくいと思います。

 

それとは異なり、思考の元が「〇〇したい」「〇〇なふうになれたら嬉しいな」「そうなったら幸せだな~」という希望や憧れだと、そこに向けて行動している時にも幸せや喜び、楽しさを感じると、今、実感しています。

 

例えばダイエット。

「体重を減らさなきゃ!」「太ってる私は醜いから、痩せなきゃ」という、「今の自分はダメだ」と否定し、それを元に自分を駆り立てて行うダイエット。

もう一つは、「痩せたら好きな服が着られてもっと楽しいだろうな」「あのワンピがより似合うかもしれないな」「身体が軽くて動くのが楽になりそう、その方がいいな」というような、「痩せた状態への憧れや希望」が元となり、行うダイエット。

 

どちらが心地よく過ごしていけるか。

 

前者の方が燃える!というタイプの方もみえるかもしれないけれど、私は完全に後者の方が心地よく過ごしていけるタイプでした。

 

 

思考の元を見つめてみる

普段私たちは特に意識せずに思考しているので、自分の思考がどのような気持ちを元に発生しているか、あまり自覚していないのでは、と思います。

 

でも、生きていて「なんか苦しいな」「しんどいな」「きついな」という自覚がある場合、私のように自分の思考グセが自分自身を追い詰めている可能性もあるかもしれません。

 

もし、そうかも?と思う方がいらっしゃいましたら、何かを思考した時にふと立ち止まって、「この思考の元はなんだろう?どんな気持ちが発端なんだろう?」と見つめてみると、思考グセが見えてくるかもしれません。

 

思考グセがわかったからといって、長年の癖なのですぐに変わるわけではないかもしれないけれど(体験談)、気づくことを繰り返していると、一旦思考を止めることができるようになるし、自分の本当の気持ちが見えてくるようになると感じています。

 

「あーーー世の中が『痩せてるのがかわいい』っていうから痩せなきゃいけない、太ってるのはダメだと思っていたけれど、本心は痩せたいと思ってないかも」なんてことに気づくこともあるかもしれません。

 

誰かが言っているから、ではなく、自分が本当はどう思っているのか。

それが大切だと思っています。

 

 

おわりに

うつ病以前の私は、雑誌なんかに「マストハブ!」なんて書かれていると「買わなきゃいけない」と思ってしまったり、「女性は〇〇であるべき」なんて書かれていると「こうしなきゃ!」と思ったり、あらゆることに関して言われたり書かれたりしていることをまともに受け取り、「そうでなければいけない」と思っていました。

 

そのため、「〇〇でなければいけない」という項目は増える一方で、がんじがらめになっておりました…(;'∀')

 

最近は、「あ~~こうして煽っているんだな、消費活動を。メーカーさんも売りたいしね…」「マスト、でもないよねぇ」「まぁ一口に女性って言っても色々いるしね」「まぁ私はこんなの全部やるのは無理だ、実力・気力的に」

など、冷静に思えるようになりました。

 

自分の心の声を聴き、見つめ、行動しようと思う元が「憧れや希望など前向きな気持ちかどうか」を見極められるようになってきて、駆り立てられるように行動することがなくなり、随分と精神的に楽になりました。

 

また、心の充足感や満足感も増えました。

 

もし、以前の私と同じようなことで悩まれている方がみえましたら、「思考の元」を見つめてみると変化が起きてくるのではないかな、と思います。

 

お読みいただき、ありがとうございました(^-^)