うつ女ブログ

うつ病からリハビリ期へ。自分を労わりながら社会復帰していく雑記。

うつ病の快復過程で自分と距離を置くようになり、起こった変化。

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うつ病の快復過程で、自分に対して距離を置き、観察したり冷静に見たりするようになりました。

 

そうすると、「あ~~今焦っているねぇ」とか「あーー今イライラしているね」と客観的に理解できたり、喜んでいる時でも、「あーーこういうことに私は幸せを感じるんだな」と、自分が何に対して喜びや幸せを感じるかも理解できたりするようになってきました。

 

そうした変化の中で、「自分の人生に対して執着が少なくなった」ことに関して、本日は書きたいと思います。

 

目次

 

 

うつ病以前の私は、色々なことに対して、「もっと、もっと」と思っていました。

 

  • もっと、〇〇が出来るようになりたい
  • もっと、素敵な人になりたい
  • もっと、上達したい

 

こうして書くと、「それは向上心があっていいんじゃない?」と思われる方もみえると思いますし、私自身も、適度であればこれらのことはモチベーションとなり良いとは思っています。

 

しかし、うつ病以前の私は、かなりの項目についてこれらのことを思っていましたし、自分の実力や状態を度外視して思っているため、自分を追い立て、苦しめてきました。

また、「もっと、もっと」と思っていたため、現状に対する満足感は少なく、「私はダメだ」と自分を責めがちでした…

 

 

うつ病の快復過程で自分を認め、自分を遠くから眺めるようになった

うつ病の快復過程で自分を遠くから眺めて見るようになり、いかに、自分がたくさんのことを「もっと、もっと」「まだまだダメだ」と思っていたか、自覚しました。

 

言葉を変えれば、「自分をよりよくする」ことに、とても執着していたと思います。

そして、それは「現状の自分を否定する」ことの上にあったのではないか、と考えています。

 

現状の自分を認め、自分を遠くから眺めたり観察したりするようになり、自分と随分と接しやすくなりました。

 

「あ~~〇〇(私)はこういう傾向があるからなーーこういう時はこう思うよねぇ」と、自分が感じたり思ったりすることに、なんというか、納得するようになりました。

 

 

起こった変化

自分の人生への執着が減ってきた

そうして過ごして行くようになると、なんというか、自分の人生への執着が減ってきました。

 

例えば、私が結婚するかしないか、子どもを産むか産まないか。

これは、本人の人生にとっては大きなことですし、両親など家族、さらにご先祖様に対しても命を繋ぐという上で大きなことであると思います。

友達も、そうしたことを望んで願ってくれているかもしれません。

申し訳なく思う気持ちはあります。

 

ただ、世の中でみたらどうか。

私が結婚しようとしまいと、子どもを産もうと産むまいと、特に大きなことではないんだろうな、とふと思ったのです。

 

たくさんいる人の中の、一人の人生に過ぎない。

Aさん(私)は、結婚しておらず、子どももいない。

ただ、それだけのことなんだなぁと。

 

自分を客観的に見るようになってきたら、そんな風に思いました。

 

 

自分にはどういう役割や人生があるのだろう、と思うようになった

子どもを産む人は、親となり子育てをする役割がある。

子どもを産まない人の中には、仕事で社会に貢献する人もいる。

仕事でなくても、ボランティアや趣味の世界で活躍したり、人のためになることもあるかもしれない。

 

それらは本人の希望もあるけれど、本人の思いだけでなく、流れというか、与えてもらったものでもある気がします。

 

あなたにはこうした役割をお願いします、と、任せてもらっているのかなと。

 

そうして考えると、「私にはどういう役割があるのかな」と思うようになりました。

 

これは仕事においても。

人それぞれ持ち合わせる能力は異なり、自分の発揮できる力をそれぞれ発揮して社会は成り立っている。

美しい女優さんやモデルさんを見ていると、目が喜ぶような、癒しを感じることがあります。

「あ~こうして美しいものを見せてくれて、その美貌で人を癒してくれているんだな」と思います。

 

作家さんは、その文章で人を癒したり気づきや知識を与えたりしてくれます。

 

体力がある人は力仕事ができるし、手先が器用な人は何かを作ることができる。

 

私は、何ができるだろう、と考えるようになりました。

 

以前は自分が持ち合わせるものを度外視で「何がやりたいか」が優先だったけれど、自分をどうしたら活かすことができるか、それを使って少しでも社会に何ができるか、と考えるようになりました。

 

以前、本の紹介でブログにも書いたけれど、松浦弥太郎さんの本「メッセージ&フォト 今日もていねいに」に「自分という道具の使い方」という話がありました。

まさに、そんな風に考えるようになってきたなと感じています。

 

 

ほんの一部だな、と思うようになった

先に書いたことと重複する部分があると思いますが、世界や社会から見たら私一人の存在など本当にちっぽけなものだなと、当たり前のことを改めて思うようになりました。

 

人生諸々のことが起こり、本人はしんどかったり色々感じたりするわけですが、そのことは社会にとっては大したことでもないわけで。

 

そう思うと、ふと力が抜けるというか、大きく捉えられるようになる気がしています。

 

星を眺めると、自分の存在の小ささを感じて気持ちが楽になる。

というような話を聞いたことがあるのですが、その感覚と似ているのでは、と思っています。

 

 

おわりに

うつ病の快復過程で自分と距離を置くようになり、起こった変化について書きました。

 

今日に限ったことではありませんが、あまりうまく言葉にまとめることができず、投稿しようか迷いました(^^;

文章を人に読んでいただく以上、「綺麗に」「わかりやすく」書くことは大切だと思っていますが、そこにこだわり過ぎず、多少ゆるく書いてもいいのかな、と思い、投稿することにしました。

 

このような稚拙な文章ですが、いつもお読みいただき本当にありがとうございます(>_<)

 

春は暖かくて心地いいけれど、気温差や気圧の変化、花粉など諸々ありますし、今はコロナの件もあります。

皆さまご自愛ください^^