5、6年ぶりに、先日ある友達に会うことができました。
彼女が日本にいなかったということもあるけれど、私が病気で会えなかった状況もありました。
その双方の理由により、実に5、6年ぶり。
メッセージのやり取りをする中で、友達の「お茶でもしよう」の声に「今ならもう会えそうかな」「彼女なら大丈夫そう」と、抵抗なく思ったので会うことに。
ランチして色々話して気づけば3時間、まだ話は尽きずお店を変えてお茶して計5時間。
初めは少し緊張していたのだけれど、彼女の明るい笑顔と楽しさにすぐにほぐれていきました。
大丈夫そう、という感覚
自分の状態を冷静にみるようになり、そして心の声を素直に聴くようになっていくと、「もう大丈夫そうかも」と感じることは、実際に大抵が「もう大丈夫」でした。
ここで「〇〇しなくては」という思いや「そろそろ〇〇くらいできるようにならないと」みたいな思いがあるとタイミングを見誤ってしまいがち。うつ病以前の私はまさにそうで、たくさんタイミングを間違えました…(;'∀')
自分の状態をみて、心の声を聴いた上で、「大丈夫そうかな」と思えたことは、すんなりと大丈夫だったりするんだなと、今回の体験で改めて思いました。
うつ病の快復過程は長くて、早く〇〇できるようになりたいと焦る方もみえるかもしれないけれど、一歩一歩、その時の状態で出来る事を重ねていくと、いつの間にか出来ることが自然に増えてくる、と経験から感じています。
友達と5時間も話せるようになるなんて、辛かった頃の私には想像もできないことでした。友達とまた会って、話して楽しい、って思えることなんてあるんだろうか、と思っていました。
快復が進んでこれば、自然と大丈夫になる。
そう、今は言うことができます。
物事には段階がある
何事も、物事には段階があると思います。
中には飛び級のように、いきなりできる人やコトもあるのかもしれないけれど、大抵の場合は段階を重ねて、少しずつ少しずつできるようになっていくのだと思います。
病気の快復過程もそうです。
色々なことが大丈夫になっていく過程は少しずつ少しずつでした。
じれったく思った時もあったけれど、途中からは「こうしてじわじわ回復していくものなのだなぁ」と納得したため、のんびりと構えて過ごしていました。
大丈夫になっていく過程を、研究対象をみるような目でみることもありました。
「へぇ~~~今度はこれが大丈夫になるんだ」「あーーこれはまだ難しいんだね」と、自分の快復過程を眺めて知ることは面白くもありました。
病気の快復過程を面白がるなんて変、と思う方もいらっしゃるかもしれないけれど、観察しているとなかなか興味深いですし、そうして過ごすことで「快復過程」という長い道のりを大切な経験として味わって過ごせてきたように思います。
おわりに
さすがに5時間話した後の夜には少し疲労を感じましたが、心地よい、充足感のある疲労でした。
翌日も少し疲れが残っていましたが、前日の夜同様、友達と良い時間を過ごせた心地良さのある良い幸せな疲労感でした。
会わない時がこれだけあっても、そしてお互いの社会的状況が違っても(友達は既婚、子どもあり、働いている)、こうして心置きなく、色々なことを深く話し合える友がいることに、改めて心から感謝の念が湧きました。
今、うつ病が辛過ぎて友達に会えない、という方もみえると思います。
誘いを断ったり、会えない期間が長かったりすることに不安を感じる方もみえるかもしれないけれど、本当の友達は、時が経っても、会えない期間が長くても、あなたのことをきっと大事に思ってくれていると思います。
そろそろ梅雨明けが近いですね。
コロナの影響で夏祭りや花火大会などは軒並み中止で、これまでの夏とは違う雰囲気の夏になりそうですが(といっても私の場合はもう何年も夏祭りに行っていないですが…)、体調管理をしながら、できることで心地よく過ごして参りましょう。
本日もお読みいただき、ありがとうございました^^