うつ病以前の私は、自分が求める結果にこだわり、執着していたと思います。
「ある結果を得るために努力する」
それは時に、執着を伴います。
努力が無事に実り思うような結果が出ることもあるけれど、そうとばかりは限りません。
そうした時、以前の私は「求めていた結果」でないことに落胆し、自分はダメだと責めることもありました。
努力を伴わないものであっても、「自分が求める結果」にこだわっていたと思います。
例えば、あるものを食べたくてお店に行ったとする。
楽しみにお店に着くと、残念ながらその商品は売り切れ。
以前の私だと、
「売り切れなのか…あーーーーどうしよう…〇〇が食べたかったのに…あーーー(泣)」
という感じだったと思います。
今は、
「あーーー売り切れなのね。そうか」
「オススメはどれですか?」
「あ、これ人気商品なのね。試しに食べてみよう」
と、思うように。
そうして、展開に乗ってみると、新たな発見があることも知りました。
先述の例でいうと、実は新しく食べてみたものが、前のお気に入りよりも好き!なんてこともあったり。
これはあくまでも例だけれど、うつ病の快復過程で自分の思いとは別の展開も楽しむようになってきたな、と感じています。
どう展開していくか?ということを面白がるようになってきたと思います。
凝り固まっていたものから自由になり、
「あーーーこうくるのね」
「ははーーーそうきたか」
と、色々と起こることに対しておおらかに構えられるようになりました。
いいんだよ、思ったとおりの結果じゃなくても。
そう思うようになりました。
大きな流れの中で、流れに身を委ねつつ生きている感覚。
もがいて必死に泳いで目的地に着こうとするよりも、心地よく過ごせる、と感じています。
うつ病は人によって原因はそれぞれだと思います。
ただ、共通して「負荷がかかり過ぎていた」ということは言えるのではないかな?と、あくまでも一患者の感覚ですが思っています。
私の場合、その「負荷がかかり過ぎていた」ことの大きな原因が、「自分自身の考え方、生き方、捉え方」でした。
自分自身で自分を苦しめていたという…(;'∀')
うつ病はものすごくきつくてしんどかったけれど、こうした機会があったからこそ、じっくり自分と向き合い、知り、気づいていけたのだと思っています。
今、動けなくて、休養するしかなくて、悔しい思いをされている場合、何も出来ていないように思うかもしれないけれど、何もしていないわけではなく、じわじわと内面が変化しているかもしれません。
病気になったからこそ、気づくこともあるかもしれないし、実は、そうして一度立ち止まることが必要だったのかもしれない。
そうしたことは、後から「あーーーそうだったんだな」とわかるのだと思います。
見えない「今」は辛いけれど…きっと先には、何かが見えてくるのだと思っています。
ゆっくり、それぞれのペースで。
快復の道のりを歩んで参りましょう。
お読みいただき、ありがとうございました^^