合うかどうか。
これは、色々ななことに大切なことだとうつ病の快復過程で身に染みて思いました。
例えばファッションやメイク。
どんなに素敵なものだろうと、合わないものは素敵には見えません。
逆に合うものを身に着ければ、素敵に見えます。
例えば仕事。
多少合わなかろうと努力することも大切ではあるけれど、明らかに合わない仕事をすることは本人にとっても負担が大きいし、なかなか成果を出せないという意味で周りにとっても良いとは言い難いなと思います。
例えばパートナーや友人など。
好みが似ているとか性格が良いとか、そういうことがあったとしても、なぜか「一緒にいると心地よくない、自分らしくいられない」という相手もいるのだと思います。
相手が悪いわけでも、自分が悪いわけでもなく…相性の問題があるのかなぁ、と。
食事でも、それぞれが美味しい料理だろうと、一緒に食べるのはどうなんだろう?ということ、ありますよね。
それと似ている気がします。
「合わないから」と簡単に諦めてしまうと幅を狭めてしまいそうだけれども、明らかに合わないものには果敢にチャレンジしなくても良いのでは…?と思います。
まぁ、若い頃にはそうしたチャレンジもいい経験となり、自分を知る機会になって良かったりもするかもしれないけれど。
ある程度歳を重ねてくると、無理はしなくて良いのではないかなぁ、と。
うつ病の快復過程で自分を遠くから、客観的に俯瞰して見るようになっていきました。
すると、自分の持ち味や大切に思っていること、合う合わないが以前よりはっきりと見えてきました。
HSP傾向(生まれつき敏感な人)傾向もあるし、色々とつくづく生きづらいな~この人は…と自分のことながら思いますが、それが私という人間なので、そこは受け止めて、なんとかいい方向に自分のことを導いていこう、と思うようになりました。
簡単に言うと、持ち味を活かす、素材を活かす。
私の髪はドが付くほどの直毛で、以前はふわふわした髪への憧れがありパーマをかけていたこともありました。
しかし、なんせドストレートなのでパーマがかかりにくい…美容師さん泣かせでした。
なかなかパーマがかかりにくい中かけたので、髪も傷んでいたなと思います。
うつ病になり金銭的にも体調的にもパーマどころではなくなり、今はそのままストレートなわけですが、これが快適。
「これだけストレートなら、このストレートを活かすのがいいな」と思うようになりました。
(将来的に毛量が少なくなったらパーマをかけたくなるかもしれないけれど(笑))
思い返せば、高校の頃や大学、社会人になってからもストレートでいる時に有難くも髪をほめていただいたことがありました。
自分では特に良いと思っていなかったけれど、持ち味を良いと認めてくれていたのです。
何を言いたいかというと、持ち味を活かした方が自然で、負担がなく、素敵かもしれないということ。
例えで髪のことを出したけれども、色んなことにおいて、この「持ち味、素材を活かす」ことは、生きやすく、負担が少なく、素敵かもしれないと思うのです。
そのために大切だと思うのは、客観的に自分を観察すること。
自分を眺めるように見て、良い・悪いの判断をすることなく、ただただ、事実を受け止め認めること。
すると、「へ~~~どうもこれはどうにもこうにも苦手なんだな」とか、「あーーーやっぱりこれは合ってる」とか「ん?これは良いところかもしれない」いうことが紛れもない事実として理解することが出来ます。
それが理解できると、何を避けた方がよく、何をすると幸せなのか、自分の能力や素材が活きるのかが、自然と見えてくると感じています。
そして、コンプレックスに思っていることも、見方を変えれば(活かし方を考えれば)活かし方があることを知ることができる気がしています。
料理でも、素材によって活きる料理が異なるように。
素材がどういうものかを知ってからこそ、活かし方がわかるのかな、と思います。
おわりに
気づけばあっという間に日が経っていて、随分と更新が久しぶりになってしまいました(^^;
月日が経つ速さを以前から感じてはいるけれど、ここ最近より一層速い…!!
あと2週間ほどで今年の半分が終わるとは信じ難いです。
外出自粛も長期化してきて、リモートワークによる疲れや、あまり外出できないことによるストレスを抱えてみえる方もいらっしゃるかもしれません。
出来る事を、出来る中でして、疲れやストレスを逃しながら、お互いに過ごしてまいりましょう。
お読みいただき、ありがとうございました^^