うつ病以前、というより、恐らく中学生ぐらいから「自分のことを好きになれない」という状態でした。
中学生は思春期なので、そういう感情を抱くことはよくあるのでは、と思うのですが、それは波がありながらも私のこれまでの人生に長く横たわっている感情でした。
どうしたら自分を好きになれるのか、さっぱりわかりませんでした。
うつ病の回復過程で、痛みを伴いながら自分とじっくり向き合い、自分を1つ1つ受け止めていきました。
そうしたら、「『好きでも嫌いでもない』でいいや、こんな私と一生付き合っていこう」という気持ちが芽生えました。
目次
自分に対して二極論的だった
本をかなり読みましたが、どの本にも大抵「自分を好きになろう」「自分を愛そう」ということが書いてありました。
どう考えても自分を好きになれない、と思う中、「自分を好きにならなければ!」と思って、好きになれない状態に苦しんできました。
「自分のことを好きでない状態」→×
「自分を好きでいる」→〇
と思っていて、「自分のことを好きになれない私はダメだ」、「好きになれるような自分でない私はダメだ」と思っていました。
今は、随分二極論な考え方をしていたなぁ、と思います。
好きでも嫌いでもない、でいい
自分との付き合いは、片時も離れず一生続きます。
好きでも嫌いでもなんでも、「この自分」と生きていくことは運命ではなく宿命です。
人は変わることが出来ると思っているので、色々と変わることはあると思いますが、
産まれもっての根本的な性格や特徴などはなかなか変えることは難しいこともあります。
逃れられないこの自分と生きていくこと。
それを認めたら、「はーーーまったく生きづらいけれど、この自分でなんとか生きていけるよう、やれることをやっていこう」という覚悟のようなものが芽生えました。
そうしたら、
今まで「好きにならなくちゃ」と思っていたけれど、「『好きでも嫌いでもない』でいいや」と思うようになりました。
そう思うようになり、楽になりました。
今までは自分と距離が近すぎた
自分との付き合いで思うのは、今までは自分と距離が近すぎた、ということです。
自分から少し距離を置いて、自分を眺めて見ると、自分のことを冷静に見ることが出来るようになってきました。
すると、「へぇー私って今こう思ってるんだ」「あぁ~~こういう傾向があるよね」と、
自分の特徴について感情を入れたり良い悪いの判定もすることなく、
気づくようになっていきました。
今はどうかわかりませんが、10年ほど前、結婚式の余興で「〇〇の取扱説明書」というものが私の周りではよく行われていました。
新郎ないし新婦の友人が、結婚する友人についての取り扱いをお相手に解説する、というもの。
自分と距離を置いて自分に接していると、この自分に対しての「取り扱い説明書」が自然に出来ていく感覚があります。
- 私はこういう特徴があるから、こうしておこう
- こうすると落ち着くから、こんな時はこうしよう
そんな自分への接し方がわかってくるようになりました。
また、
自分が嫌いな時には自分のダメなところばかりに目がいっていましたが、
自分を冷静に見つめることで、
少ないにしろ「こういうまぁまぁいい面もあるよね」ということも認めることが出来るようになりました。
おわりに
自分のことを好きにならないといけない、ともし思ってる方がいらっしゃいましたら、
「好きでも嫌いでもない」でもいいかも、と個人的な考えですが思います。
自分と距離を置いて、遠くから自分をじっくり見つめていると、
自分の特徴が色々と見えてきます。
中には受け止め難いこともあったりして、初めは辛い思いも抱くかもしれませんが、
1つ1つ受け止めていくと、「こういう特徴があるなら、こうしよう」という考えも浮かんでくるのでは、と思います。
「こんな自分は嫌だ、ダメだ」と自分を責めているうちは、
「こんな自分認められない」と思っていたので自分の特徴として受け止めるができておらず、そのためそれに対しての対策も出来ていなかったな、と感じています。
うつ病がかなり辛い時期には、
自分を見つめてしまうと自分を責める方向にどうしても傾くように思うので無理は禁物ですが、
だいぶ楽になってきていたり、うつ病でなくても「自分のことを好きにならなくては」ともし思い悩んでる方がみえましたら、
- 好きでも嫌いでもない、でもいいのでは
- 自分を遠くから見つめてみると、特徴に対しての対策も見えてくる
と個人的な思いではありますがお伝えしたいです。
明日からお仕事の方もみえると思います。
夜はゆったりと心地のいい時間をお過ごしください。
梅雨で体調が重い方もいらっしゃると思いますが、心身を休めながら、過ごして行きましょう。
お読みいただきありがとうございました^-^