umiphotoさんによる写真ACからの写真
うつ病以前から生きにくさを抱えていました。
不器用なタイプです。(生き方などが)
うつ病以前の私は、いびつな自分を正五角形のようにしたいとずっと思ってきていたように思います。
それぞれのことが、卒なくバランス良く出来が良くできる自分でありたい、そうでなければいけない、と思っていました。
うつ病の回復過程で、自分のことを客観的に眺めて見るようになりました。
そうすると、「これだけいびつなのに正五角形のようなものを目指していたらそりゃしんどいわ」と気づきました。
造形物でも、いびつなことが味となり美しさを感じるものがあります。
そうした自分になっていきたいと思うようになりました。
相田みつをさん
多くの言葉を残されている相田みつをさんの日めくりカレンダーが我が家には飾られています。
その中に
トマトがトマトであるかぎりそれはほんもの
トマトをメロンに見せようとするからにせものとなる
という言葉があります。
うつ病以前の私は、相田さんの言葉のようにトマトであるのにひたすらメロンを目指していたのだと思います…
本来の自分を見ずして理想ばかり見て、苦しくなっていました。
自分を知って、自分なりのいい方向へ
自分を眺めて見て知り、自分の特徴や傾向を知りました。
初めは次から次へと出てくる、思っていた以上に未熟な自分を知って、ショックを受けました。
1つひとつ見つめていき、受け止めていくことをしていくと、自分という人間像が以前よりもわかるようになりました。
すると、正五角形を目指す気持ちは消えていきました。
どだい無理だと理解したのです。
苦手なことでも苦手なりに出来るようになったらいいけれども、
苦手なことだからハードルを下げて高いところを目指すことを止めました。
思えば、学生時代の勉強だってそう。
計算が遅いし数学が苦手で、努力しても苦手なことには変わりませんでした。
苦手なことを少しでも今より出来るようにする努力は大切だけれど、
得意な人と同じくらい出来るようにしよう、というのは無茶だったと気づきました。
かなり「出来る自分でいたい願望」が強かったんだと思います…
いびつならいびつだからこその美しさを
私が目指すところは正五角形ではない。
「いびつだけれど、なんか味があっていいよね」だと思い至りました。
正五角形はそりゃ整っていて美しいかもしれないけれど、いびつだからこその味わいだってあるはず。
友達でも、なんかちょっと隙があるというか、人として面白み(いびつさ)があったりして、そこが魅力的で好きだったりします。
自分の持ち味を大切に活かしながら、伸ばしていきながら、生きていきたいと思っています。
そんな風に思えるようになったのも、うつ病を患い、とことん自分と向き合う機会を得たからだと感じています。
うつ病はかなりきつくてしんどかったけれど、そのおかげで気づけたことがたくさんありました。
大変な経験は、大変だからこそ気づくことや知ることが大きいのかもしれません。
おわりに
前にも書きましたが、私の場合、うつ病は
「このままの生き方じゃ辛いよ~」ということを教えてくれ、
気づいたり変わるきっかけをくれたと思っています。
三十云年してきた生き方だから、今もうっかりするとつい頑張り過ぎたり、
レベル高いことを自分に求めることがあります。
けれど、そうなった時、「ん?」と気づき、自分を遠くから見て「あーーーちょっと頑張り過ぎてるな~」「こういう考えに偏っているな~」とわかるようになり、以前よりは調整を出来るようになってきました。
そうできるようになって、楽になったと感じています。
連休をお過ごしの方は今日が最終日ですね。
ゆっくりしたり心地良く感じることがあればそれをしたり、
良い1日をお過ごしください^^