うつ病になる以前、私はいちいち物事をするのに気合いを入れておりました。
よしっ、掃除しよう。
よしっ、お皿を洗おう。
新しい取り組みを行う際には、「よーーーし、やるぞーーー」とかなりの気合いを入れておりました。
時には気合いが必要な時もあるけれど、それはここぞという時で後はそんなに気合いがいらないことを知りました。
この「気合いを入れる」というのは、エネルギーを使うものだと思い至りました。
うつ病になって、気力が湧かず億劫で堪らない時、気合いを入れようにも入れる気力はありませんでした。
僅かに体調が楽になってきていても億劫感がまだ強い時、「気力を入れず、億劫なままで、だらだらとやる」ことをしていました。
だらだらとでも、ゆっくりとでも、やっていると物事は少しずつ進んでいきます。
その経験から、「何かをやるのにそんなに気合いって入れなくても大丈夫なんだ」と思うようになったのだと思います。
気合いを入れずにやる効用だと感じたこと
負担が減る
気合いを入れてからやると、先ほども書きましたがエネルギーをけっこう使います。
気合いを入れて気持ちを上げる、というのは、車などのギアを上げるように、負担感があるように思います。
そのままの状態で、そろそろまぁやろうかな~くらいのテンションでやると、気持ちの上下がなくスムーズだと感じています。
続けることができる
例えばスポーツやストレッチなど、何かを習慣にしたい時に気合いを入れてやっていると、続きにくいように思っています。
初めのうちは、高いモチベーションでやれるかもしれないけれど、高いモチベーションというのはそんなに長くは続かないように思います。
100メートルダッシュのスピードでは、フルマラソンは走れないように。
まぁ、そこそこで続けていこう、くらいの気持ちの方が長続きすると経験から思います。
拝読しておりますねこひげ先生のブログに、とてもわかりやすく詳しく書いて下さっていましたのでリンクを貼らせていただきます。
疲れにくい
気合いを入れずにやった方が、疲れにくいような気がしています。
先ほども書きましたが、「気合いを入れる」というのは気持ちを持ち上げる感じなので、負担感があり、疲れが発生するように思うのです。
気合いを入れて何かを行った後に、どっと疲れたことってありませんか?
気合いというのはエネルギーだと思っています。
エネルギーを使った分だけ、疲れが発生するような気がしています。
そうはいっても
そうはいっても、気合いがいる場面というのはあります。
その時に気合いを入れるためにも、それほど気合いが必要ない時には気合いを入れずにやる方がいいのでは、と考えています。
出来ることはなるべくそのまま自然に行って、必要な時にエネルギーをとっておく。
うつ病を患っていても、患っていなくても、そんな風に過ごしていけたらいいのかなぁと思っています。
(※うつ病がかなり辛い状態の時の億劫感は半端ないので、その時は必要最小限の動きでじっくり休むのがいいと思います。)
おわりに
うつ病からの回復過程で、気づかせてもらえることが多いです。
「~ねばならない」の思考についてもそうなのですが、
「私って、こんなに〇〇していたのか、そりゃ疲れる」と自分の今までの傾向を知って少し愕然としたりします…
それだけ、自分のことを見ていなかったし、知っていなかったんだなぁと思います。
自分と距離を置いて眺めて見て、知っていき、自分との接し方が以前よりはわかってきた気がしています。
気合い、どう考えても入れすぎでした(汗)
ぼちぼちやっていこ~という感覚が程よく感じております。
そんなわけで、ブログに関してもぼちぼちとやっていて、
気づけば5日経っておりました。びっくり。
寒い日が続きますので、
風邪やインフルエンザ等かかりませんよう、皆さまご自愛ください^^