うつ女ブログ

うつ病からリハビリ期へ。自分を労わりながら社会復帰していく雑記。

うつ病が良くなってきたポイントとなったこと【後編】(私の場合)。

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今回は、前回書きました「うつ病が良くなってきたポイントとなったこと(私の場合)」の続きです。

 
 

 

私の場合は
  1. 病気を受け止める
  2. 自分を責めることをやめる
  3. 仕事のことを今は考えない
  4. 「今」に集中する
  5. 「~ねばならない」をやめる
  6. 自分の状態を俯瞰する
  7. 考えても答えの出ないことは、その時まで委ねる
 
この7つがポイントになっていたように思います。
(といっても回復状態はまだ道半ばの状態で、これまでの回復のポイントとなっていたように思うことです)
 
今回は4~7について。
 
前編はこちらです。
 
 

「今」に集中する

過去と今を比べても仕方がないと思い至りました。

今、出来ないものは出来ない。

過去出来たということは関係がない。

 

未来についても、不安が募るようなら想像しない方がいいと思っています。

 

病気などで大変な時は、目の前の一歩一歩、一日一日を積み重ね過ごしていくのがいいのでは、と思います。

 

 

「~ねばならない」をやめる

以前、「~ねばならない」「~すべき」について記事を書きました。

 

私はかなりの比率で「~ねばならない」「~すべき」に基づき考え動いておりました。

「~ねばならない」はそうでなければダメ、という発想なので、それがうまく出来ないと自分責めの方向へシフトしてしまうように思います。

 

  • ~ねばならない→ねばならないこともないけれど、〇〇した方がいい選択かな
  • ~しなければ→そろそろ〇〇をやろうかな~
  • ~すべき→まぁ出来たら〇〇した方がいいかな

 

そんな風に少し緩めた考え方をするようになり、だいぶ楽になりました。

 

 

自分の状態を俯瞰する

自分の特徴や状態を遠くから眺めて見るように、俯瞰してみるようになってきて、自分の感情に振り回されることが減りました。

 

家族が購入していたプレジデント(2018.7.16号、「山中教授の自分を変える」)に脳科学者の茂木健一郎さんの記事が載っていて、その中に「メタ認知」に関することが書かれていました。

 

自分がいまどういう感情を抱き、どのように考えているのかなどのことを、あたかも第三者の視点から眺めるように把握することを「メタ認知」と呼びます。(一部編集、抜粋)

 

つまり、「こうあるべき」という理想や義務感が強すぎる間は、自分自身を冷静に見つめる「メタ認知」ができないということです。

 

私は自分自身の能力などを直視せずに「こうあるべき」という理想や義務感でがんじがらめになっていて、「出来ない自分はダメだ」とよく自分を責めていました。

 

自分の特徴や状態を受け止め、自分を遠くから眺めるようになって、「あ~今こういう状態なのね」と思うようになりました。

 

この感覚を持てるようになってきて、自分の把握が以前よりは出来るようになり、無理をしたり自分をやたら責め立てることも減りました。

 

「今の私の状態はこのぐらいだから、まぁこのぐらい出来たら充分」と思うようになりました。

そう思うようになり、楽になってきました。

 

 

考えても答えの出ないことは、その時まで委ねる

私は考えても答えの出ないことをグルグルと考え思い悩むことがよくありました。

 

答えの出ない時に考えているので、いつまでたっても答えは出ません。

それなのに考え続けることは精神衛生によくなかったと思います。

 

しばらく考えてみて答えの出ない時は、「その時がきたら自然に答えが見えてくるだろう」と、答えがでる時まで委ねるようになりました。

 

そうするようになって、グルグルと思い悩む負担が減り、楽になってきました。

 

 

また、相手に対してモヤモヤとしてグルグル考え始めた時には、相手に聞くようにしました。

そうすると私の勘違いもかなりの確率であることが発覚。

 

相手の言動に対してグルグルと考え始めた時には、相手に聞いてみることも大切だと思います。

 

 

おわりに

あくまでも私の場合ですが、うつ病が良くなってきたポイントだったかな、と思うことに関して書きました。

 

まだ道半ばですので、これから過ごしていくとまたポイントとなるようなことが出てくるかもしれませんし、振り返った時に今回書かなかったけれどあれもポイントだった、と思うことが出てくるかもしれません。

 

その際にはまた記事に出来たらいいなと考えております。

 

 

ポイントとしての記事には書きませんでしたが、見守ってくれている家族や友達の存在はベースとして大きくあります。

 

家族は大きな心でどんと構えて見守ってくれています。

私が難しくなっていることは助けてくれて、私が出来そうなことや今やるとよさそうなことは「やってみたら?」と背中を押してくれる。

焦らせるようなことは何も言わず、ただただ温かく見守ってくれている家族に本当に感謝しています。

 

友達たちも私の状態を理解してくれてそっと見守ってくれていて、絶妙なタイミングで言葉を届けてくれたりします。

まさに、このタイミングで響く言葉、というものを届けてくれて。

心にぐっと沁み込みたくさん泣きました。

会っていなくても繋がっていて、何か伝わっているのかなぁと思うほど。

温かく待ってくれている友達の存在。とても有難いです。

「いつまでも待ってるよ」その言葉がどれだけ嬉しいことか。

 

ブログで出会った方々には気づきを頂いたり、激しく共感して頷いたり、勉強になったりと、様々なものを頂いております。

そして、同じうつ病を患う方には、同じ病を抱えながら同じ時を過ごしていて、一人ではないよ、同じような辛さを知っているよ、と、そっと側にいてもらっているような気持ちを感じています。

 

そうした家族や友達、主治医、ブログを通しての皆さまから頂いている色々なものが、回復にも力を下さっています。

皆さまのおかげさまです。

 

この場を借りて、本当にありがとうございます。

 

 

そして、私の拙いブログを読んで下さっている皆さま。

 

はてなブログの方以外はどんな方が来てくださっているのかわからないのですが、うつ病のことをほぼ書いているので、ご自身やご家族、ご友人がうつ病を抱えてみえる方がいらっしゃると思います。

 

うつ病は人それぞれですし、一うつ病患者である私の話がうつ病の方皆に当てはまるわけではないと思いますが、「私の場合はこんな風だった」「こんな時はこうしていた」「こうして失敗だった」「こうして楽になってきた」というような話をこれからも書いていけたらと思っております。

(たまに違う話も書くかもしれません)

 

ブログに辿り着いていただき、読んでいただき、ありがとうございます。

 

 

うつ病が良くなっていく道のりは少しばかり時間がかかると実感していますが、じっくり、歩んで参りましょう。

 

「おわりに」が、本文より長い!?くらいの勢いになってしまいましたが、最後までお読みくださりありがとうございました。