電車などで座席を譲ることが難しい、と感じていました。
明らかに足腰が大変そうな方や体調が辛そうな方にはためらいなく声がけしますが、「果たして声掛けしていいのだろうか…?」と迷う場合が難しい。
今回は、席を譲る難しさと、後から答えがやってくることについて書きたいと思います。
目次
座席を譲る難しさを感じる2点
まずは、「立っていて体を鍛えたいと思っている方だったら」、と思う場合。
父は70歳オーバーの高齢者ですが、座席を譲られたくない派なのです。
趣味がランニングであるため、電車では立っていて体力を試したり体幹を鍛えていたいようです。
寝たきりにならないため、足腰の強化を意識してみえる高齢の方も多いと思います。
そうした方に席をお譲りする声がけをしてしまうと、「せっかく声をかけてくれたのだから、善意を無駄にしてはいけない」と、本当は座りたくないのに気を遣って座って下さる方もいらっしゃるような気がしています。
そうすると、本来は身体を鍛えたかった機会を奪ってしまうことになってしまう…
次には、「私はまだそんな歳ではない」と思っている方の場合。
席を譲られる=年寄扱い と考えてみえる方もいらっしゃると思います。
事実、そうでもあるのですよね…
昔会社の同僚が、「席を譲ったら『わしゃーそんな歳じゃない!』と言われた」と言っていました。
パッと見で、果たして声掛けして失礼にあたらないか?と判断するのはなかなかに困難。
しかも、私の個人的判断で「声掛けしていいだろう」と思ったとしても、本人は「まだまだそんな歳ではない」と思っている可能性もある。
そうした2つの観点から、「席を譲る声がけをするか否か」で頭を悩ますことがありました。
これまでの「席を譲るか否か」の際の行動
これまでは、そうした「声掛けをするか否か」を迷った場合には、無言で席を立ち、遠くに移動していました。
座りたければ座るだろうし、そうでなければ座らないだろう、それはこちらに気遣いなく自由にしていただけたらいい、と思い、そうしていました。
ただ、私自身が疲れて座っていたい状態で座席を立ち、お相手の方が座らなかった場合、なんとなく戻る訳にも行かずしんどくとも立ったまま過ごすことに…
どうしたものかと思っていました。
雑誌で読んだこと。答えが後からやってくる。
そうしたら、偶然手に取った雑誌に、答えが書いてありました。
「もしよろしければ、おかけになりませんか?」
「もしよろしければ」という言葉と、「おかけになりませんか?」という言葉の2つで、断るにしても相手が断りやすくなるのだそう。
もう少し詳しく書いてあったのですが、書店でパラっと見ただけなので、詳しくは覚えておらず(汗)
見つけた時、答えが書いてあるー!と思いました。
「こういう時どうしたらいいのかなぁ」ということがあって、しばらく時間を置いていると、ある時思いもしないところで「これだ!」という助言を得ることがあります。
偶然手に取った本に書いてあったり、ブログや記事で読んだり、誰かのお話の中に出てきたり。
以前の私は、気になったその時に答えを知りたくて躍起になって探すことがありましたが、置いておくといつか知れる、という安心感が最近はあります。
母が昔から「答えの出ないことはとりあえず箱に置いておく」と言っていて、当時の私は言葉としてはわかっても感覚として理解していなかったのですが、少し前からようやくわかるようになってきました。
置いておいて、後から答えが見つかったり見えてくることって、けっこうあるのだと感じています。
おわりに
「席を譲る際どうしたらいいか」のような話だけでなく、過去の出来事などでも「そういうことだったのかー!」と後からわかることがあります。
その時判断する必要のあることも中にはあるけれど、時間を置くことで見えてくることことも多いのかな、と感じています。
新型肺炎のみならず、風邪やインフルエンザを防ぐためにも、手洗いうがいをしっかりと行っているこの冬。
図書館ではマスクを着用しています。
皆さまもお気をつけてお過ごしください。
本日もお読みいただき、ありがとうございました^-^