うつ女ブログ

うつ病からリハビリ期へ。自分を労わりながら社会復帰していく雑記。

思いを馳せると幸せ感が増す話。

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うつ病がかなり辛かった時期には、「辛い」「苦しい」「しんどい」で心身が埋め尽くされていて、幸せを感じることはありませんでした。

 

うつ病特融の症状であることが大きいと思っていますが、

人間、心にしろ体にしろ、めちゃくちゃしんどい時にはなかなか幸せを感じる余裕を失いがちになるような気もしています。

 

さて、少し前からなのですが、

思いを馳せると有難みを感じて幸せ感が増すな~と感じています。

 

本日はそのことについて書きたいと思います。

 

目次

 

 

幸せを感じる時とは

幸せを感じる時って、どんな時なのでしょうか。

 

人によって様々だと思いますが、

五感で感じるものですと

  • 美しい音楽を聴いた時
  • 美味しいものを食べた時
  • 良い匂いを嗅いだ時
  • ふわふわの毛布にくるまった時(冬)
  • 綺麗な景色を見た時

など、何かに触れた時に「こんなにも素敵なものに触れられて幸せ」となります。

 

人であれば

  • 心が通い合った時
  • 優しさに触れた時
  • 心地良い時間を共有した時
  • 何かをして喜んでもらえた時

など、思いつくところではこのようなことがあります。

 

しかし、うつ病が辛い時というのは、

上記の五感で感じるものはほぼ感じることが出来ず、

好きだった音楽さえも苦痛になる状態でした。

 

また、人であれば、

何かをしてもらっても「嬉しいな」よりも「申し訳ない」の気持ちが勝ってしまっていました。

そのため、幸せを感じることなく、罪悪感を抱くことも。

 

うつ病がものすごくきつい状態から少し脱した時、

「思いを馳せる」と有難みを感じ、幸せ感が増すことに気づきました。

 

 

思いを馳せる

例1.メガネやコンタクトレンズ

私はかなりの近視です。しかも乱視もあります。

そのため、起きている間は何かしら目に装着していないと生活がままなりません。

 

温泉などに行った際も、

目に何かつけていないと一緒に行った家族や友人を発見できないため、

温泉でも何かしら装着しています。

 

世の中にメガネやコンタクトレンズがあってくれるから、私のようなド近眼でも不自由なく生活することが出来ています。

 

コンタクトであれば、目の中に異物を入れるという、

開発当初は恐らくかなり勇気のいる行為にどなたかがチャレンジしてくれ、開発してきてくれたからこそ、今、こうして使わせてもらうことができる。

 

メガネであれば、メガネを初めて作って下さった方はもちろん、

その後研究に研究を重ねてきて下さった数々の方々がみえるからこそ、

私のような視力でもメガネの厚みをそこまで気にせず、快適に装着することができる。

 

私の視力だと、おそらく昭和初期だったらガラス+メガネの厚みで、

からしょっちゅうメガネが滑り落ちていただろうし、

見た目的にもおしゃれとは程遠い感じになっていただろうな…と思います。

 

どれだけたくさんの方々のおかげで、今、こうして快適に使わせてもらえているのか。

本当に、有難い。

 

 

例2.本やCD、服など

本やCD、服などにも思いを馳せると、有難みが身に沁みます。

 

本であれば、

作家の方はどれだけの気力と時間を使い、この本を書いて下さっていることか。

どれだけたくさんの人がこの本を出版するにあたり関わってくれているのか、と思うと、

今、手にさせてもらえていることが本当に有難いことだと改めて思います。

 

CDであれば、

アーティストの方だけでなく、作詞や作曲の方、アレンジの方、

演奏家の方々、音源調整の方々、ジャケット撮影の方、CD販売店の方々など、

この1枚のCDを手にさせてもらえるのに、どれだけの方々が力と時間を注ぎ作って下さったのか。

 

作品そのものを聴いても「こんなに素敵な曲を届けてくれてありがとう」と思うけれど、

多くの方々の尽力に思いを馳せると、より一層感謝し、有難みを感じ、

幸せ感が増してきます。

 

 

服も、

例えばユニ〇ロで購入する時、異国のどなたかがこの服を縫ってくれたんだと思うと、

有難いな、と思うし、大切に着用していこうと一層思います。

 

 

例3.今まで関わってくれた人

自分がこれまで生きてくるのにどれだけの人の支えがあったのかと思い返すと、

本当に有難くて、幸せだなと思います。

 

親はもちろん、祖父母、親戚、友達たち、学校の先生、就職先の上司や同僚…

恵まれていたと痛感します。

 

ただ、家族を失っている私は、

亡くなった家族のことを考えると、どうしても罪悪感が出てしまいます。

 

「亡くなった家族の分まで生きる」とまでは思っていないけれど、

生かさせてもらっているのに、こんな自分で申し訳ない、という念が湧いてきてしまいます。

 

また、親に対しても、亡くなった家族のことを含め、

「私がこんなんで申し訳ない」となりがちです。

感謝<申し訳ない になってしまう。

 

ご先祖様も同様です。

 

そのため、例3に挙げたものの、感謝はしているけれど家族やご先祖様にはあまり思いを馳せることはしないようにしています。

 

 

うつ病の思考

うつ病は「申し訳ない」という思考になりがちなのでは、と自分のこれまでを見て思います。

 

うつ病でなかった時もそういう思考はありましたが、

うつ病がとても辛い時期には「申し訳ない」の割合がかなり多かったですし、

だいぶ楽になった今も「申し訳ない」がまだあります(特に家族)。

 

思いを馳せることで有難みが増し、幸せを感じる場合は思いを馳せるのもいいと思いますが、

「こんな私はダメだ」と思ったり、「申し訳ない」が強く出てしまいそうな時は、

控えた方が良いかもしれません。

 

もし有難いな~幸せだな~と感じる事柄があれば、それについて思いを馳せると心が温かくなってくると思います^^

 

 

おわりに

ブログについても、

様々なことを書いて下さる皆さまのブログに出合えたことで、

笑顔になったり新たな知識をいただいたり、うんうんと頷いてほっとしたりと、

たくさんのものを頂いております。

 

拙い私の文ですが、読んで下さったりスターを下さったりする方のおかげ様で、

ブログを書くことが出来ています。

 

本当に、ありがとうございます*^-^*

 

 

9月も半ばに差し掛かってきましたが、暑いですね。

夏の疲れが出やすい時節ですので、皆さまご自愛くださいませ。