うつ女ブログ

うつ病からリハビリ期へ。自分を労わりながら社会復帰していく雑記。

友達の一人とうつ病になって以来会って感じたこと。結婚、人生、友達。

 

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友達と再会

 

ある友達と夏ぐらいから会いたいねとLINEで話していたものの、コロナ禍の激しさに延期していました。

 

念願叶い、先日、うつ病になって以来の再会を果たせました。

 

会う前から感無量…

 

彼女は既婚・子どもあり・仕事あり(フルタイムではない)。

 

私は未婚・子どもなし・無職。

 

だいぶ状況は異なるのですが、何の引っ掛かりもなく彼女と話すことができて。

 

よく、既婚か未婚か、子どもの有無、仕事をしているかしていないかで話が合わなくなる、のような話を目にしていたのですが、少なくとも今のところ、私には当てはまっていないです。

 

むしろ、自分が知らない世界を生きる友達の話に興味津々。

 

子どものエピソードにはお腹をかかえて笑ったり、本を読むような感じで子育ての大変さを垣間見ることができて、勉強になるし有難く思っています。

 

私が子どもを産めることはもうないだろう、という中で、さらに兄弟もいない中、勝手ながら友達の子どもの成長を遠くから見守る伯母のような気分にさせてもらえて、しみじみ、嬉しいなぁと感じています。

 

 

思い通りの人生を歩んでる人はほぼいない

 

人間、思い通りの人生を生きられている人はほぼいない。

 

本でいうと、え!こういう展開くる!?なんてことがあったりする。

 

事実は小説より奇なり、というけれど、本当に。

 

だいたい、思い通りの人生を生きるって、なんだか強欲というか、ちょっとエゴイストな気もしています…

 

自分の人生に対して、こうなったらいいな、という希望はあるけれども、そうでなくても、その中でどういい方向に自分を導いていくか、という考えになって、随分と楽になりました。

 

この1冊の人生物語を良いものにしていこう、という感覚に近いかもしれません。

 

または、流れに乗りつつ、ちょっと舵取りをする、という感覚になっています。

 

 

昔より色々自由な今、生き方と友達

 

今は昔より自由で、結婚に対しても昔より「していないといけない」ものではない。

 

子どもに関してもそう。

 

人はそれぞれ色々な考えがあり、また、自分と違う生き方をする人に対して不寛容になっていまう人もいる世の中ですが、

 

でも、理解のある人もちゃんといます。

 

私と仲良くしてくれている友達たちは皆、違いを理解してくれるから、こうもそのまま心地よく一緒に時間を共有できるのだな、と思います。

 

離婚しても、うつ病になってしばらく(けっこうな年単位で)会えなくても、変わらずお互いの話をすることができる。

 

本当に有難いことです。

友達1人ずつと、昨年くらいからぼちぼち再会しているのですが(コロナの落ち着いた合間に)、友達たちと会うと、彼女たちのどういうところが好きで尊敬しているのか、改めて感じることができました。

 

それぞれが持つ癖も感じるのだけれど、それらを含めて好きだなと思える。

 

そんな友達たちの存在に、心から、感謝しています。

 

 

友達がいなくても良いと思う

 

友達のことを書いていますが、もし、友達が特にいない、という場合も、それも良いのだと思います。

 

友達も恋人や配偶者と同様、いないといけないものではないと思うし、作らないといけないものでもないと思っています。

 

たまたま気が合って、話したり出かけたりして時間を共有するのがお互いに心地よい、と思えたら、友達になるものじゃないかなと。

 

そして、そうお互い感じ続けていたら、細くとも長く続いていくもののような気がしています。

 

恋人でも配偶者でも、どんな関係にも言えることだと思いますが、

 

もしもその関係が終わる時があっても、仕方のないこと。

 

だからといって、それまで仲良くしていた関係が無駄な訳ではない。

 

その時、お互いに良い時間を共有できていた、その事実はずっと変わらないのだと思います。

 

 

おわりに

しばらくはてなブログを書いていなかったため、どうやって書いていたっけ?の状態になっております…(汗)

 

長くなったのでそれぞれに見出しを付けてみましたが、読みづらかったかもしれません。

 

それにもかかわらず、お目通しいただきありがとうございました ^ ^