うつ女ブログ

うつ病からリハビリ期へ。自分を労わりながら社会復帰していく雑記。

自信、というものは結果なのでは、と思った話。

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うつ病を患うと、様々なことが困難になります。

 

うつ病の症状が最も重いとされる急性期の時には、人によって症状の差はあると思いますが、あらゆることが辛くて苦しくて難しい。

頭も体も動かない。

 

そうして、日常の些細なことも困難になった状態の時に、巷で言われる「自信を持とう!」なんて、無茶な話だよ、と思いました。

 

今回は、自信というものは結果なのでは、と思った話です。

 

自信とは

「自信」について辞書(ネット)で調べてみました。

 

自分で自分の能力や価値などを信じること。(デジタル大辞泉
自分の才能・価値を信ずること。自分自身を信ずる心。(大辞林 第三版)

 


うつ病になると様々なことが困難になり、自分の出来なさ加減にがっくりきます。
そんな中で「自信を持とう」というのはなかなか難しい。
自分の才能や能力、価値を信じることと書いてありますが、能力に関してはうつ病で何気ないことまで難しくなりますし、その現状によって自分に対して無価値感を抱いてしまうこともありました。

 

また、鬱々と「自分はダメだ」思考になっていたため、あらゆる自分のダメなところに注目していて、とても自信を持てる感じではなかったです。

 

 

自信、というものは、結果なのでは

私は、自信というものは結果なのでは、と思うようになりました。

 

「〇〇が出来る」

「これだけやったんだから、私は大丈夫」

 

何か出来ること・得意なことがあれば、それに関しては自信が持てたりする。

また、たくさん練習したり努力してきたりすれば、「私はこれだけやってきたんだから、大丈夫」と思えたりする。

 

根拠や事実があって初めて、自信を持てるのではないかと思いました。

(根拠のない自信、というものもあるかもしれませんが)

 

 

それでも、持てたらいいと思う「自分を信じる気持ち」

そんな風に思うので、うつ病になって自信がなくなるのはとても自然なことのように思います。

 

ただ、

うつ病になって出来なくなっていることは、失ってしまったように感じてしまうけれど、今は鳴りを潜めているだけ。

 

能力も才能も、今は見えなくなっているけれどちゃんと待機してくれているのだと思います。

 

自信はなくなるけれど、「きっと、また出来るようになっていく」「きっと、私には回復していく力がある」

 

そのことは、信じられていたらいいのではないかな、と思っています。

 

まぁ加齢によって難しくなることもありますけれども…徹夜なんて20代の時でも怪しかったぐらいで今はもううつ病に関係なくとてもじゃない…(笑)

 

 

おわりに

自信というものはあればあったで、傲慢になったり自信過剰になるケースもあります。

 

ですので、自信はなくてはならないものでもない、と個人的には思っています。

ただ、「自信がないな」と思っていると、縮こまってしまったり、悲観的になってしまうこともある気がします。

 

自信がない時は、一つ一つ出来ることをコツコツと積み重ねていくのがいいのではないかな、と思っています。

 

跳び箱3段を跳べない人がいきなり8段に挑戦しても自信をなくします。

何度跳ぼうとしても跳べない…としょんぼりしてしまいます。

 

3段が跳べるなら4段、4段が跳べたら今度は5段と一つ一つクリアしていくと、「5段を跳べるようになった」という自信もつきながら、着実に前に進んでいけます。

 

うつ病からの回復も同じように思います。

少しずつ動けるようになってきたら、一歩一歩、出来そうなこと、やってみようかなと思えたことから始めていって出来るようになっていくと、「これは大丈夫になってきた」という小さな自信が芽生えます。

その積み重ねで進んでいくように思います。

 

 

うつ病になって料理が困難になっていたけれど(今は魚を焼いて味噌汁を作るくらいのレベル)、まずは1品や一皿、何かを作ってみようかな、やれそうかも、という気持ちが芽生えてきました。

出来そうなもので、家族が喜びそうなものを考えてみよう。

何を作ろうかな~と考えることも楽しみに。

 

 

涼しくなってきたと思ったら、暑さが復活してきましたね。

台風の影響で気圧の変化もあります。

気温や気圧の変化がある時は体調を崩しやすいので、無理せず大事に過ごしていくことにいたしましょう。