三谷幸喜監督の「記憶にございません」という映画が始まった様子。
三谷幸喜監督の作品と言えば、昔母と映画を観て涙を流しながら二人で大爆笑したな。
と、話はいきなりずれてしまいました。
本日書きたいのは「記憶にございません」
某政治家たちの発言を思い出す、この「記憶にございません」
私の場合ですが、うつ病がかなり辛かった頃の記憶がほとんどありません。
まさに「記憶にございません」状態。
都合の悪いことの忘れたふりをしているわけではなく、
本当に、記憶がない。
人間、あまりに辛いとそのことを忘れようとする機能があるような気がしています。
出産を経験したことはないけれど、出産の痛みに関しても忘れる(薄らぐ)からまた出産しようと思える、という話を聞いたことがあります。
あまりに辛かったり苦しかったりする記憶が鮮明だと、きっと生きていくのに大変だから、忘れる機能があるのではないでしょうか。
何が言いたいかというと、
教訓や大切なことを心に留めておくことは大切だと思うけれど、
辛さや苦しさ、心の痛みは、自然に和らいでいってくれる、ということ。
傷は残ることもあるかもしれないけれど、「傷痕」にはなっていくのではないか、と。
時間薬もあるのだと思います。
ものすごく辛い状況の最中にある人に「時間薬があるよ」と言っても、「今、辛いんだよ~~~」となってしまうかもしれないけれど。
(かなり辛かった頃の私はそう思ったに違いない)
ずっと、同じ強度の辛さが続く訳ではないはずだと思うのです。
現状は現状として受け止めて、「まぁ、そのうち、いつかは楽になっていくだろう」という一種の楽観的な気持ちを持てると、僅かかもしれないけれど今も少し楽になれるのでは、と考えています。
なかなか、辛さの渦中にいる時は思えないけれど…
きっと、今の辛さもいつか、柔らかな思い出になったり、
もしくは「記憶にございません」になるはず。
うつ病がかなり辛かった頃の記憶が「記憶にございません」状態になっている、
離婚の痛みも柔らかな思い出になっている、
一うつ病患者の、一離婚経験者の呟きでした。