うつ女ブログ

うつ病からリハビリ期へ。自分を労わりながら社会復帰していく雑記。

罪悪感と自己肯定感について。うつ病の回復過程で気づいたこと。

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うつ病を患われる方の中には、罪悪感に苛まれる方がみえると思います。

 

私もそうで、罪悪感はうつ病の症状と思われるものの中で長きにわたり続いたものの一つです。

 

うつ病の回復過程で自分を眺めて見つめるようになり、自分を受け止め、認められるように。

そうすると、罪悪感が減っていきました。

 

今回は、罪悪感と自己肯定感について書きたいと思います。

 

目次

 

 

 

うつ病がかなり辛かった頃には、様々なことに罪悪感を抱いていました。

 

こんな私が生きていて申し訳ないと、生きていることにも罪悪感。

 

家族には当然罪悪感を抱き、友達にも「こんなのと友達でいてくれて申し訳ない」と思っていました。

 

ご先祖様にも申し訳なく思い、「前世の方にも申し訳ない…せっかくこうして今生を受けているのに」と思うことも。

 

テレビを見ることも辛い状況の中、家族とテレビで懸命に生きている虫の映像を見て、

「虫もこんなに頑張って生きているのに私はなんてダメなんだろう…」と、虫と比較してどっぷり落ち込んだこともありました。

 

うつ病がだいぶ楽になった今、これまでの心の軌跡を振り返ると、罪悪感と自己肯定感には繋がりがあるように感じました。

 

 

自己肯定感とは

 

自己肯定感を検索すると

 

 「自分は大切な存在だ」「自分はかけがえのない存在だ」と思える心の状態。
自分を肯定している感覚、感情などを指す。
対義語は、「自己否定感」。


自己肯定感が低いと自信が持てず。他人にどう見られているか気になり、他人の言動に過敏に反応してしまうとされている。


自己肯定感が高い:心の受容が大きく、少々のことではめげない。意欲的に人間関係を築くことができる。
自己肯定感が低い:自信喪失、委縮。自己否定的。

はてなキーワードより)

 

まさに、この「自己肯定感が低いと」に当てはまっていました…

 

 

自己肯定感ってこういうものかも

 

うつ病以前の私の思考は、「出来る自分」「人としていい人間である自分」でないと肯定出来ないと思っていました。

 

「こんなダメな自分、認められるわけがない」と自己否定を繰り返し、

少しでも何かが出来ると舞い上がるという、不安定極まりない状態。

 

うつ病になってからは、日常のささいなことさえも難しくなって、ただでさえ少なかった自己肯定感が皆無のようになりました。

 

 

うつ病からの回復過程で、自分を遠くからじっくり眺めるように見て、

1つひとつ受け止めていきました。

 

「へー私ってけっこう〇〇だね」「あーこんな風に感じるんだなー」

そうして、良いも悪いもなく、1つの自分の特徴として、今の状態として、観察していき、認めていきました。

 

すると、今まではひたすら否定していた自分の短所についても、「はぁ~~~まったくしょうがないねぇ」と思うようになりました。

心理的には手のかかる子どもをみる母親のような目線だと思います。

(母親になったことはないけれども)

 

そうして感じたことは、「何か出来るから肯定するわけではない」ということでした。

 

出来なくても、ダメでも、どんな自分も受け止める。

どんな自分も自分が見捨てず認め、付き合っていってくれるという安心感。

 

そういう感覚が自分を肯定するということなのでは、と感じました。

 

 

自分にも優しく

 

「何か出来るから」「人として優れているから」自分を肯定するというのは、本来の自己肯定感ではないような気がします。

 

本来の自己肯定感とは、「どんな状態でも存在していていい」という、存在への肯定感なのでは、と感じています。

 

病気で様々なことが出来なくても。

失敗してしまったとしても。

 

どんな自分だろうと、自分が受け止めるよ、見捨てないよ、という受け止めなのではないでしょうか。

 

 

病気の方、障がいのある方、高齢の方、また友人などに対して

「出来ないことがあっても、仕方のないことだし大丈夫」と思うのに、こと自分に関しては「何でこんなこともできないんだ」とよく自分を責めていました。

 

うつ病を患う方の中には、同じように人に対してはそうは思わないのに自分に対して刃を向けてしまう方がみえるのでは、と思います。

 

自分にもやさしく、がいいような気がします。

 

やさしくは「自分を甘やかす」という意味ではなく、

親が子どもを育てるのと同じような感じで、温かく見守り、エールを送り、必要な時には自分を休ませ、様子を見ながら自分をいい方向に自分で導いていくような感覚です。

 

子育てっておそらく辛抱がいるものだと想像するのですが、

自分との付き合いも、辛抱して、長い目で見て、今の自分を認めてじっくり付き合っていくのがいいのかなぁと感じています。

 

 

自分を認められると、罪悪感が減ってくる

 

どんな自分も自分として受け止めていくと、罪悪感が減っていきました。

 

申し訳ないという気持ちは未だあるにはあるのですが、「こんな私です、どうかご勘弁を」「堪忍して下さい」と思うようになりました。

 

相田みつをさんの言葉に

これでいいというわけではないが、これが今の私の精一杯です

 

という言葉があるのですが、まさにそんな心境です。

 

ただ、仏壇の前で長く手を合わせるとどうしても「生かさせてもらっているのに申し訳ない」という気持ちが湧いてきてしまうので、お参りは短時間にするようにしています…

 

 

まとめ

自己肯定感とは、「生きていていいんだよ」と自分の存在を許すことが初めにあるように思います。

自分がダメだと思う自分も、情けなく感じるような自分も、どんな自分だとしても存在していていいのだと、生きていていいのだと、自分を許す。

その自分への許しが、自己肯定感に繋がる気がしました。

 

もし、「自分のこういう所は自分としては嫌だな~」と思うことがあったら、変えられることは腰を据えてじっくり変えていけばいいのだと思っています。

 

 

こちらは、昨日は冬に逆戻りしたような寒さで今日は風が強いです。

うつ病に限らず体調が悪い時にはこの気温差応えますよね…

皆さま、くれぐれもご自愛ください。

 

ご覧いただき、ありがとうございました。