うつ病を患う原因やきっかけは、一つとは言い切れません。
状況は様々ですし、その状況も1つの状況ではなく、積み重なって限界を超えて発症という形もあるのではないかと思います。
ただ、自分を例にとっての話で他の方皆にも当てはまるかはわからないのですが
- 自分を責めたり追い込んだ
- 無理をし過ぎた
ということはもしかしたら当てはまるのではないかなと思い、書きたいと思います。
目次
うつ病の発症の発端となる出来事は多種多様で、何が(もしくは幾つかの何かが)負荷となりうつ病に至ったかというのはそれぞれあるのだと思います。
それでも、「自分を責めたり追い込んだ」「無理をし過ぎた」ということはもしかしたら当てはまるのでは、と考えています。
自分を責めたり追い込む
決して胸を張れることではありませんが、私はこれが得意技でした。
とにかく、「~ねばならない」を元に行動し、~ねばならないため当然それが出来ないと自分をダメだと追い込む。
しかも、私の設定していた「~ねばならない」は、本来の私にとってはハードルが高いものであったり、「体調が悪い」「疲れている」というような状況であっても「しなければならない」というものでした。
今思えば、「それ、無理でしょう・・・」と思います。
極端な例ですが、とても東大に行く実力がないのに「東大に行かなければならない」と思っていて、東大を受験して落ちて「私はダメだ」と言ってるような感じでした。
一貫してこんな感じだったので、「~ねばならない」の数は多く、「自分はダメだ」と責めることも多かったです。
うつ病のきっかけとなったことがパワハラのような外部の影響が大きい場合もあると思います。
そうした場合においても、もしかしたら最終的には「自分はダメだ」と自分を責める気持ちになっていた場合もあるのかなと思います。
「確かに出来てないけれど、そこまできつく言うことでもないんじゃない?」
「そうは言っても、よく考えるとあなただって出来ないでしょう」
「出来ないものは出来ないんです」
「確かにそれは苦手だけれど、ここは私けっこうやれてると思う」
「この会社(上司)は問題がある…!」
そうした気持ちが自分の中にあると、少しは負担が減ると思うのです。
「アイツーーー言いたいこと言いやがってーーー」(少々言葉が荒く失礼致します)というようなメラメラした気持ちでも。
会社や上司に問題があると感じた時は、配置換えや場合によっては退社を検討することが出来ます。
うつ病を患った方の場合、私の傾向を踏まえての話ですが、「あぁ…私はダメだな…」の方向へ行くことがあるのではないかと思うのです。
まともに相手の言葉を受け取って、自分責めの方向へ行くことがあるような気がしています。
無理をし過ぎた
「無理」って、無理なんですよね。
うつ病以前の私は「無理」という感覚がなかったような気がします。
「無理」と言いたくないプライドと、負けず嫌い。
出来る自分でいたかったエゴ。
そうして、自分にとって「無理」なことや限度を理解していませんでした。
一時的にとか短期間であれば、無理もきくかもしれませんが、ずーっと続けていたらその負担感は相当なものです。
人生は短距離走ではないんだよなぁとつくづく思います。
長距離走です。長さはそれぞれだけれど、ロングラン。
給水したり、栄養をとったり。景色を眺めて見たり。
息が苦しい時間帯があったり、足も痛くなったりしながら、生き続ける。
その長い人生を、無理をしまくって、短距離走の速さで走っていたら、脳や体が悲鳴をあげます。
以前も記事に書きましたが、「ストップ!そのままじゃきついよーーー」という合図が病気だったりすると思うのです。
自分責めや無理し過ぎることを防ぐ
自分を認める、知る
何度か書いていますが、まず、自分を認めたり知ることが本当に大切だと身に沁みて思っています。
自分の実力や性格、傾向や状態などを認めて知っていると、「いや~そりゃ出来たらいいけれど、残念ながら(今の)私には難しいなぁ」という感じに思えるように思います。
また、自分を知っていると「だいぶ負荷が大きくてまずい状態になっている」ということに早く気付くことが出来、そこで負荷やスピードを緩めることが出来ます。
ブレーキをかけることもできます。
自分を知っていないとブレーキのタイミングもわからなかったな…と経験から思っています。
とにかく「ねばならない」と思っていたので、そもそもブレーキをかけるという発想自体もなかった気がします。
~ねばならない、をやめる
こちらも何度か書いていますし、私の経験からのことですが、この「~ねばならない」は手放すのがいいと思います。
私のように「ねばならない」と思う傾向のある方は
「ねばならない」と頭に思い浮かんだ時に、一度自分が思った「ねばならない」を検証してみてください。
そうすると、大抵のことが「ねばならないこともない」のだと気づくと思います。
環境や社会、自分の経験、思い込み等、色々な物から「ねばならない」は作られていると思います。
でも、それは、本当にねばならないことですか?
体調が悪い時でも?
あなたの状態や能力を踏まえても?
理想もいいけれど現実を知る。
理想を抱くのはいい事でもあります。
「こうありたい」というのは、人生の指針になったりします。
しかし、その前に現実を受け止めてみるのが大切だと思っています。
私の経験で、理想が高すぎると現実とのギャップに「自分はダメだ」に陥りやすいです。
山登り初心者で、いきなりエベレストを目標にしたら、登頂成功確率は0%に近いでしょう。
そんな感じになってしまうのです。
ここで、先ほど書きました「自分を認める」ことをしていると、自分に登れそうな山がわかります。
現実的な山が見えるのです。
そうすると、そこまで無理をすることなく登れます。
だんだん体力や持久力がついたり、慣れてきたら、次の山に登ってみればいい。
(山を語っていますが、山登り経験はございません…イメージで例えてすみません)
「いつかは、エベレスト登れたら素敵だな~」なんて、理想というよりは淡い憧れのようなものを抱くのは自分はダメだ思考にはなりづらいように思っています。
コツコツ、今の自分に見合った山からがいいのだと感じています。
もし「エベレストにいつか登るんだ」という理想がモチベーションになる方でも、目の前の現実を踏まえ、現実的なステップを一つ一つ行っていくのがいいと思っています。
休むことを許す、周りになんと言われても
自分が休むことを許すことが大切だと思っています。
会社や家庭の状況で、「私がやらないと」と思うことがあると思います。
それでも、「けっこう私きつくなってるな」と感じたら、ちゃんと休んでほしい。
休むことに後ろめたさとか申し訳なさを感じる方もみえるかもしれませんが(←私もそうでした)、早めに休んだ方が深い傷を自分だけでなく周りも負いません。
私の父が言っていたのですが、会社だって、病気になるまで働いてほしいなんて思っていないのです。
どうにも人手が足りなくて休みにくい状況の職場にいると、余計に自分も休めない、と思ってしまうと思います。
それでも、ちょっとのお休みで回復できたら、双方にいいのではないでしょうか。
多少誰かに負担をかけてしまうこともあるかもしれないし、何か言う人も中にはいるかもしれませんが、大事なのはちゃんと休んで、働くことだと思うのです。
なんせ、人生も会社生活もロングランですから。
あまりにも休暇が取れなかったり自分にとって負担が大きすぎる職の場合は、転職を視野に入れることも時には必要かもしれません。
また、手を抜くという意味ではなく、「無理をし過ぎずに」日ごろから働いたり生活するのが大切なのだと思います。
無理は身が持たないと、経験からしみじみ思います。
おわりに
離婚したり、うつ病になったり、大きな体験をしましたが、それでこそ気づかせてもらったことだなと思います。
何もなかったら、あのまま無理をし続けて生きていたんだろうと思うと、背筋がちょっとぞっとします。
身の丈を知って、身の丈で生きていきたいと思うようになりました。
昔から「自然体」の意味がわからなかったのですが、ようやく少しわかってきた気がしています。
今日こちらは穏やかな晴れです。
気持ちのいいお天気。
今、病気などが辛くて猛吹雪の中にいるような方も、少しずつ晴れ間が見えてきて、「あ~穏やかだな~」と感じられる日々がそう遠くはない未来にやって来ますことを願っております。
急がなくていい。ゆっくりでいい。
自分のペースで、じっくり、過ごして行くことにいたしましょう。