うつ病になる以前は、FacebookもInstagramも楽しんでいました。
そこそこ更新もしていたし、友達の投稿を見ることは日々の楽しみでした。
うつ病になり、自分が発することも、発せられたものを見ることも、
きつくなりました。
ログインすることを止めて、これで良かったと思う理由を書きたいと思います。
目次
SNS(ソーシャルネットワーキングサービス)の良さは、友達の近況がわかったり、「綺麗」「おいしそう」「かわいい」「楽しそう」「行ってみたい」といったことを感じる何かに出会えることだったりします。
しかし、うつ病がかなり辛い時にはこれらのことを感じられないし、むしろアップされたものを見ることに負担を感じました。
そうして、フェイスブックもインスタグラムもログインすることを止めました。
止める時は少し勇気がいったのですが、止めてみて良かったと思っています。
FacebookとInstagramを止めて良かったこと3つ
療養に専念できる
静かに療養に専念できます。
「人と繋がってる感」は薄れるため、初めは寂しい気持ちもありました。
ですが、慣れてしまえば気にならなくなり、投稿を見るという刺激を受けないことでじっくり療養に専念できているように思っています。
フェイスブックもインスタグラムも、友達になっていたりフォローした方の投稿は、何もかもがフィードに流れてきます。
流し見るにしても、様々な情報が目から入ってくる。
その情報量に疲れてしまうのでは、と思います。
また、内容としては綺麗な景色なら癒されていいかもしれないけれど、中にはうつ病を患っている時には刺激の強いものもあるように思います。
うつ病が辛い時には、負担になるような刺激は避けて、じっくり療養するのがいい、と思っています。
余計に悲しくなることはない
友達が色々と充実して元気に活動している様子が見られるSNS。
日常の明るい面を切り取ったようなものなので、実際にはどんな苦労や辛さを抱えているかはわからないのだけれど、SNS上にはポジティブな投稿が多い。
そんな投稿を見ていると、自分をみじめに感じたり、病気で身動きが取れないことを余計に悲しく思ってしまうことがあるのでは、と思うのです。
見なければ、知らなければ、そういった気持ちを持たずに済むように思います。
うつ病を抱えているだけで辛い。
そこに、余計に悲しくなることをすることはないと思っています。
コメントを考えないで済む
うつ病になる以前、けっこうコメントを残していた方は、SNSを見てしまうと「コメントをしないと」と思ってしまう場合がある気がします。
(コメントしなくちゃいけないわけではないんですけれどね…これもうつ病にあったりする「~べき」思考かもしれません)
いいね、は、ボタンを押すだけなのでその点いいですが、うつ病がかなり辛い時期には文章を考えることが困難な場合があります。
働かない頭を無理やり動かして文章を考えるのは辛く、負担になることがあるのでは、と思います。
そもそものログインを止めると、コメントを考えることもなくなります。
著名人のSNSはログインせずに拝見
見たい著名人のインスタグラムは、ログインせずに検索して拝見しています。
綺麗なものをアップされている方や、ファッション関係が主です。(といっても2,3です)
検索するという1アクションがあるけれど、見たいと思った時に見たいものを見られるので、今はこのやり方が合っているなと思っています。
おわりに
※SNS疲れ
ソーシャルネットワーキングサービス(SNS)やメッセンジャーアプリなどでのコミュニケーションによる気疲れ。長時間の利用に伴う精神的・身体的疲労のほか、自身の発言に対する反応を過剰に気にしたり、知人の発言に返答することに義務感を感じたり、企業などのSNSで見られる不特定多数の利用者からの否定的な発言や暴言に気を病んだりすることを指す。(コトバンクより引用)
うつ病の時には一層、SNSとの付き合い方を考えた方が療養にプラスになるように思います。
私の場合はFacebookやInstagramと距離を置いたほうが休まっていると感じていますが、それらをすることで心が和んだりエネルギーをもらえる方もいらっしゃるかもしれません。
その場合は、無理をしない範囲で行うといい影響があるのではないかと思います。
SNSとの付き合いは、自分にとって心地のいい距離感で。
うつ病が辛い時には、自分の負担になるようなら減らして、無理をせずに。
じっくり、ゆっくり、休養してまいりましょう。
FacebookとInstagramのログインを止めている私ですが、皆さまとブログで出会えたおかげで、療養中の孤独感をあまり感じずに過ごせています。
いつもありがとうございます。
心より、感謝を込めて。